誰でも分かることですが、メロディーは生きているし、実際に動いて生きている。
では音符は?単なる記号、マークですね。音符それ自体は生きていない。

これと同じで、光エネルギー(いのち)は生きているけれど、思考や言葉自体は記号であって、実際に生きているわけではない。あなたがそこに命を吹き込まない限りは。

そして、内なる「導きの声」=「気付き」は、思考にはなくて、光エネルギー(いのち)の中にあるのです。

(以下はOSHOの講話より抜粋)

気づきのために努力するなら、
あなたは自分自身の内側に緊張をつくりだす――
あらゆる努力は緊張をもたらす。

もし気づきのために努力するなら、
あなたは自分自身と戦っている――戦う必要などない。

気づきとは、努力の副産物ではない。気づきとは、手放しであることの芳香だ。
気づきとは、明けわたすことの、くつろぎの開花だ。

くつろいで、何もせずに、ただ静かに座る……
すると、気づきが起こりはじめる。

それは、どこかから引っぱり上げるものではないし、
どこかから持って来るものでもない。

それは、どこからともなくあなたに降り注ぐ。
あなた自身の源の内側から湧きあがる。

あなたはただ、静かに座っている。

しかし私には、質問しているあなたの問題が理解できる。
静かに座ることは難しい――思考が絶え間なくやって来る

来るなら、来させなさい!

思考と戦うことはない。対処しなくていい。
戦わなければ、あなたは何もエネルギーを必要としない。

ただ、来させなさい――個人のあなたに何ができる?
雲が流れて来ては、去る――
思考に来させ、いつでもそれらが去りたいときに去らせなさい。

警戒してはいけない。
来るべきとか、来ないべきという、批判の態度であってはならない。

méditationそれらを来させ、去りたいときに去らせるがいい。
あなたはまったく空っぽだ。

思考が通り過ぎ、それが来ては去って行く。
そしてゆっくり、ゆっくりと、
それらが来ては去ることに、
自分が心を乱されないままでいるのに気づくだろう。

そしてあなたが、思考の行き来に影響されないとき、それらは消え始める、それらは蒸発する……。

あなたの努力によってではなく、
あなたの涼しさ、穏やかな空っぽさ、
あなたのくつろいだ状態によって・・・だ。

くつろぎとは中庸ニュートラルな状態だ。

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