一般社会での「悩み」は、全て生存本能というプログラムがモトになって起こります。
結婚に固執するのも、子生みに固執するのも、お金に固執するのも、有名になりたいと固執するのも、全て自我の生存本能から来ています。

 

それ自体が悪いわけではないのですが、その自我パターンを主軸として生きていると、原始時代のとあまり変わりがない。

 

」、それは本来は「進行の様子」をあらわす言葉であり、各自の内面の深化の様子をあらわす記号です。
時が過ぎるということは、本当ならば内面がもっと愛で豊かに栄えているはずということを表しています。

 

ところが、生存本能のほうは、内面は二の次でいいから、とりあえず外側を何とかしようという衝動です。
先ず、生きのびることが先だと思うからです。無事に生き延びてから、そのあとで内面を豊かにすればいいと考える。

 

私もずーっとそう思って生きてきました。
「何が何でも、この世で食べていかないと!」と、それしか頭に無かったのです。

 

先ず、自分が食べていくことが生活の重大事になり、やがてその考え方と生き方が内面を満たしてはくれないと分かり、どこか辛くなってくる。

そして生存本能への反発と反動から、神聖な内面とやらに片寄っていき、それだけを求めて宗教チックになっていくわけです。

ばいしゅんふ

 

例えば、どなたの内面にも必ず隠れている売春婦人とシスターという心理原型の二極です。

この二極を等しく愛で受け容れることが中庸・ニュートラルということです。

 

生存本能(自己防衛)への反発と反動から、宗教やスピリチュアルや奉仕活動に走ったところで、これまた豊かな内面になどなれるはずがありません。

 

反発と反動からではなく、生存本能(自己防衛)をちゃんと認めたうえで、それを超えた愛の意識で世の中に溶け込んで生きるようにするのです。

 

シスター0ついつい、生存本能というプログラムに支配されてきた自我を、あなたの愛でいったん受け容れて下さい。
そこは各自で自発的に意識改革として取り組んで下さい。

 

誰かの方法は必ずしも役に立つとは限りませんから、必ず真摯にご自分で見つけていく努力は必要だと思います。
たまたま私は、ある先生から教えてもらった取り組み方でとても納得できただけです。

 

「お金がほしい」「今後どうやって食べていくのか」という自我の思いに対して、単に機械的なプログラム(バーコード)なのだと理解し、「私という愛の存在の思いではない」と分別しただけです。

 

嫌ったり否定して分別したわけではなく、今まで作動してくれた生存本能の働きに心から感謝し、「ともに栄えようね」「ともに進化しようね」と祝福を送っただけです。
みなさんはどうされますか?

 

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