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人生は、確かに楽しければいいのです。
だからといって、辛く感じてもいいし、哀しくてもいいし、要は、何でもいいのです。
この「何でもいい」というのは、「どうでもいい」ということではありませんし、そして、永遠無限にいつまでたっても「何でもいい」ということでもありません。
ただ、本当に、全てが、「その時はそれでOK」です。

その時その時がどういう状況であっても、必ずや、私たちは、形状記憶合金のように「創造の源」に心が向くようになっているからです。
でも、そのタイミングに来ているのにもかかわらず、そこから逃げて、「楽しければ何でもいい」「哀しいままでいい」ということはちょっと違いますので、気をつけて頂きたいところです。

「楽しければいい」とひとことで表現はしますが、実は、その「楽しさ」というものには、ものすごく【質の深さ】があるわけです。
各自が「自分自身の中心」(創造の源)に気付いて、そこに心を向けて、つながればつながるほど、より【深さ】を感じることができるのです。
これぞ、至福であり、豊かさの「あじわい」です。
中心へと深くつながって入れば入るほど、自動的に、人生のこと全てに感謝でき、全てに満ち足り、幸せで泣きそうになり、充足を感じます。

「頭」が信じこまされた幸せなど、外側の浅いところで、外からの刺激に対して「ピクッ」と条件反射しただけですから、それは「あじわい」でも何でもなく、【深み】を知ったわけではありません。

常に「頭」が優先した生き方をしていると、外からの状況や言語や態度によって【傷の記憶】が激しく浮上し、感情反応し、心が乱れ続けます。
単に【傷の記憶】に反応しているだけだと、ちゃんと冷静に気付くだけで、激しい条件反射ゲームが完了します。

逆に、「ハラ」が優先した生き方をしていると、条件反射が起こっても、冷静にわかりますので、激しく揺さぶられることがないのです。

去年、「いのちがけ」とか、「死んだ気になって」とか、「本気で」とか、言葉で連発して表現した時期がありました。
「なんだか、【上】から言わされている」と、ウスウス分かっていましたが、どうしても言わざるをえない感じになっていました。

そして、まんまと【上】の思惑(=あい)の通りに、多少の方々から、「そういう言い方はプレッシャーを感じる」「何だか、イケイケのスローガンみたい」「カルト教団のよう」「気分が重くなった」というコメントを頂きました。(実はシメシメ♪)

まさに、これは条件反射であり、傷の浮上です。
奴隷のように生きていた時代か、あるいは権力者の側であったか、どちらにしても記憶に反応しただけです。

人生の【深さ】を感じながら、しっかりと「ハラ」で自発的に生きている人にとっては、「いのちがけで」「死んだ気になって」「本気で」という言葉は、単に情熱的な意気込みとして感じられるだけなのです。

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