たったひとつの「創造の源」(空、神、)は、こよなく「おのれ自身」を愛しています。
おのれ丸ごとが、「あい」でしかない「純粋いのち」です。

となれば、その分流としての(個としての)私たちも、「源」と同じ性質を持っているのですから、「おのれ自身」をこよなく愛しており、「自分を喜びあふれる状態にしたい!」「自分といういのちを躍動させ、思いっきり輝かせていきたい!」「あれも、これも味わってみたい!」「あれも欲しいし、これも体験したい」という欲求が湧いて当然!

それが自己の中から湧かないなら、いのちが湧かないことであるし、「源」から送りこまれてくる「欲求」に気付くことができないことになります。
欲求に気付くことがなければ、何も経験できず、何も造られず、したがって何も「知る」ことはないのです。

「源」からの純粋な欲求を具現化創造するためには、他者や天地の援助がなくては無理なのです。
他者や天地もまた、あなたの援助を必要としており、ここに「愛の授受(交換)」という循環が起こります。

このように、自分のことを自分自身では全く面倒を見れないのですから、そこは他者と天地にゆだねてお任せするしかありません。
ですから、自分の存続に必死になるような「勝手な自我」は、もう出番がありません。
「個」としての役割は、「源」が欲求した「もの」や「こと」を、楽しく味わい、喜んで体験をすることだけですが、これは「中立な純粋自我」と呼んでもいいでしょう。

「源」とのつながりを完全に忘れた「勝手な自我」は、「~であるべき」「~とはこうだ」という四角四面な考えの集まりです。
「勝手な自我」は、自分が【メカニックなデータ】でしかないことに気付きません。
私は、このような「勝手な自我」のことを、ひそかに「箱」(=鋳型)と呼んでいます。「かたち」のことです。
「勝手な自我」とは、単に「かたち」という枠でしかないため、変化せず、発展しません。

「勝手な自我」をなくせ!とか、「頭・マインド」をはずせ!と言われるのは、それらが悪者だからではありませんし、間違いだからでもなく、ただ単に「源」からの「純粋いのち」「純粋自我」ではないからです。

「固定的」なあらゆる想念・思考自体が「勝手な自我」ですし、「箱」です。(悪いとは言っていません)
「源」からの「純粋いのち」が、この「箱」に入ってしまうと、その「箱」の中だけの体験しかできません。
それ以外の体験ができないという、ちょっと不自由で、つまらない状態となり、生きる喜びから遠ざかることになります。
「特定の感情反応」のパターンも、この「箱」の中で造られます。
ですから、自我を捨てるというより、自我という「箱」から出ればいいだけのことです。これが超越です。ジャンプです。

もしくは、固定化した想念・思考という「箱」(=勝手な自我)を、中立にながめて観察する状態にあれば、「箱」との間に「すき間」ができ、「箱」の影響を受けずにすみます。

くれぐれも繰り返させて頂きますが、「箱」自体は悪くありません。
「箱」の中に生まれた感情たちも、何も悪くありません。
嫉妬や執念でさえ、それを喜んで体験し、喜んで味わっていくと、すてきな持久力に変容します。
お正月に「餅」を飾りますが、それは「餅」が粘り強く、執念深く、しつこい性質であり、しかもそれを「めでたきもの」として祝うからです。

くれぐれも、「箱」に支配されず、「箱」を使いこなして下さい。
「箱」、それは固定化した思考、固定観念、氏名、年齢、性別、立場、学歴、年収、持ち金、結婚、仕事、地位、成果、といったような、「いのち」ではないものの事です。
私たちは、源からの「いのち」の流れそのものであり、その「いのち」が「箱」を造って、そこに入って、喜び楽しむ側であったはず。
「箱」を使いこなす側であったはず。

※ 知人の透視能力者は、この「箱」を、しっかりと自他のオーラに見ることができました。
本当に四角の箱が無数にあるのだそうです。ここにいのちが閉じ込められ続けると、それ以上の自分に変容することが困難になります。

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