いのち3「空」、それは人生という舞台の「黒子」のようなもの。あくまでも裏といいますか、バックといいますか、表の輝きを目立たせるためのものとして存在します。
そして、表の輝きとは【いのち】の輝きです。宇宙空間のいたるところ、【いのち】が輝きを放つ喜びで溢れかえっています。

ここ最近、確実に分かったこと、それは【いのち】自体が【喜び】そのものだということです。
身体の中を【いのち】が100%循環していれば、喜びいっぱいになり、元気いっぱいになり、悩みたくても悩めないほどになるはずです。怖がりたくても怖がれないほどになるはずです。ただもう充実感でいっぱいになるはずです。

ですから、思考やマインドが自分を苦しめるうちは、【いのち】が溢れかえっていないという証拠です。
気功などで「気」を取り込むことも一時的には【いのち】が充実するかもしれませんが、やはり「古事記」にありますように、【うけひ】が大事になってきます。

現実生活におきましては、各自が持っているはずの最奥の力=【いのち】を取り出すことが【うけひ】であり、この【いのち】の【ひ】が輝くときに、勝手に創造(現実化)が起こってくるのです。取り出す前に、受け取っていないといけませんが。受け取ることも、取り出すことも、同じく【うけひ】と表現します。
【いのち】は神そのものであり、光であり、素粒子であり、ここが主導権をとって循環しているとき、私たちは全員がもれなく至福な状態になります。

「深・古事記」(神ながらの道)にも引用して書かせて頂きましたが、もともと古事記には【現実化】がどういう仕組みで起こってくるのか、ちゃんと書かれてあります。
スサノオが自分自身の【いのち】(=喜び)をますます光り輝かせながら、自身を【いのち】の【ひ】で包むようになっていくと、やがてその中から【あらゆる物事】が秩序ある組織体としてカタチを現し始めたのです。
肉体も、精神も、最後には【身辺の色々な物質】や物事がカタチをとって現れ出ていきました。(「神ながらの道」P134参照)

自分で書いておきながら、いったん「神ながらの道」の本から意識を外していたことで、逆に100%腑に落ち、「そのとおり!」と断言できるようになれました。
「頭」や「エゴ」の抑えさえなければ、個人的な葛藤や疑いさえなければ、【いのち】自体が自ずと勝手に喜ばしい【具現化】を起こすという、実に楽ちんなシステムになっています。これが【まこと】なのです。

要は、【いのち】の【ひ】が充分に身体の中に取り込まれているかどうかなのです。つまり【受けひ】できているかどうかなのです。そして【ひ】を【受ける】のは、実は【大地】から!!!(ここは盲点でした。)
【いのち】の【ひ】をちゃんと大地から100%受け取ることが、喜びを100%受け取ることになり、喜ばしい出来事を100%受け取ることになります。受け取る許可が100%降りた状態ですね。
【うけひ】できていない分、何かを受け取ることが不安で、怖くて葛藤します。

古事記を研究しておられる、あるグループの方々のあいだでも、【うけひ】の項目が一番大事だとして尊重されているそうです。罪悪感が少しでもあれば、【うけひ】は不充分です。【うけひ】が完全であれば、人生が喜びあふれるカタチで勝手に循環していきます。もちろんお金も。人材も。
【いのち】は、すごい現実化システムだと、今更ながら驚きます。誰の中にも循環していますが、充分に取り込んでいないとき、満足できず、感謝できず、喜べないのです。

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