かんじざい◆今日の内容も、本当に重要です!!
一冊目の空の本のP258に、「小さいオジサンが、私の両目の奥から薄いベールをはがした」ということを書かせて頂きました。つまり目からウロコが落ちたのです。これは、ものごとに対して、一切の過去の記憶を持ち込まずに、過去をリセットした「透明な視点」で観察せよということなのです。

深・古事記のP252に書かせて頂いた「かかし」も同じ。
「かかし」は、何の個人的な考え主張も持たず、特定の解釈もせず、外部に対して一切の操作(こうあってほしい!)をしないために、人間だけでなく、森羅万象の全現象(全人生)が、あるがままに「かかし」に対して働きかけていくことができます。

「いい・悪い」という解釈の「毒リンゴ」を食べていないから、日が照れば日に照らされ、風が吹けば風に揺れ、雨が降れば雨にぬれるだけで、それゆえに「かかし」は現実界の「事実」(=真善美愛)をことごとく知っている神とされるのです。

それは仏教でいうと「観自在菩薩」です。般若心経にも出てくる「かんじざいぼさ~~」です。「今ここ」に在るという意味、それは時刻やカレンダーでいうところの「現在」のことではないよ! 一切の過去の記憶から解放されて、「自由自在になっている状態」のことを指すのだよ! そして、過去だけではなく、「今ここ」という「無色透明」な【空】のところに、自我の「明日はこうあるべき」という勝手な色を持ち込むならば、「今ここ」が「自由自在」な視点ではなくなる。

人生は変化する。常に新しく顔を出す。人生の真善美愛は多種多様だから、その色あいも様々で、そういうあるがままの真善美愛の変化は、「無色透明」な視点でなければ絶対に観ることができない。自在に観る、それは純粋に中立に観るということだ。一切の過去から放たれ、何にもとらわれず、前もって知識も解釈も用意せず、いかなる考え方や見方にも制限されずに、ただ観る。

「今ここ」を純粋に全面的に受け取っているだろうか?「つい先ほど」を持ち越したままで、「今」を観ているのではないだろうか?だから、あなたは観たとおりの現実を受け取ることになる。見ると観るでは大違い。深い気付きもなく、表面だけを眺めるのが「見る」。
あるがまま中立に受け入れて、新しさに気付いて眺めるのが「観る」。

もし、あなたの人生の日々が、いつもと変わらぬ繰り返しに見え、同じものに思えて退屈しているなら、あなたの視点のプリズムが汚れているのだ。余計な古い過去の記憶を持ち運んでいるのだ。まっさらな目線、新鮮な視点、無色透明な「心眼」で人生を観ることだ。

同じ部屋だと思い込んでいる。さきほどと同じ視点で観ている。同じ店だと思い込んでいる。同じ他者だと思い込んでいる。【同じ自分だと思い込んでいる】。同じ会社で、同じ仕事だと思い込んでいる。【今日という日が昨日と同じ境遇だ】と思い込んでいる。同じ苦しい状況に居ると観てしまっている! 無意識に今を同じ現状だと観てしまっている! あなたは中立に自在に観ていない。

ついさっき不幸だった。昨日もイマイチだった。(その視点をスグに今へ持ち込む!)
昨晩は貧困だった。今朝もそうだと、アッという間にその視点で観ていく。素晴らしい人生が観えてこない。
全く、人生を制限して受け取っている!! 
今も、さっきと同じモノや、同じ金額だと思い込んでいる。同じ残高だと観ている。
【何もかもが、ついさっきの記憶】に過ぎない。記憶の色メガネ、記憶のウロコ、過去の画像フィルターを持ち込まないことだ。まっさらであれ!

「今さら・・・」という言葉の中立な意味は、「今をまっさらに」という意味だ。まっさらな目線や視点。まっさらな心の眼だ。どれほどの新しい人生をギフトされていることか! それを観るためには、それを受け取るためには、今、無色透明なあなたであることしかない。これが【空】だ。これがゼロだ。これが無だ。エゴの色はジャマだ。古いものを観るだけだから。
あなたが無色透明でなければ、新しい人生の全体は観えない。あなたに観えないものは、そこにあっても受け取れないのだよ。

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