愛は自立している

| すぴりちゅあるブログ

今日の内容は自立に関してです。一人で生きていく意識(=自立の意識)を培って下さるよう、願ってやみません。

それは一人ぼっちで暮らすとか、家族と離れるというような「表面的なカタチ」のことではありません。内面のお話しです。

長い内容になりますが、ご自分の「内面観察」の為にご利用下さい。

 

 

 

自立と言っても、自我「が」自立することはできない。

天地と一体化した根源的な愛の状態へと

完全に「自らを直す」ことが自立なのです。

私たちの本質である愛の意識とは、

全てに対する尊厳と礼節の気持ちに裏打ちされている、

高潔なエネルギーだと思うのです。

依存や、媚(こび)や、甘えや、

ギブ&テイクのような取り引きとは異なるものです。

愛は自立した意識の波動なのです。

 

 

ところが人間の自我には、

お互いに依存しあう(お互いを利用しあう

というプログラムが組まれている。

 

 

「人はお互いに助けあって生きなきゃ!」という、

一見、人間愛にあふれたかのような言い分をかかげて、

無意識に依存があることを正当化し、ごまかす。

特に「生死」に関わるような究極の事態になると、

それが濃厚に出てくる。

実は、金銭的な自立も、この根源的な「生死に関する自立」が

できていないと無理です。

 

 

はじめから人の自我同士は甘え合うような「プログラム」になっている。

それが家族であったり、パートナーであったり、

友人であったりすればなおさらのこと。当然のように甘え合う。

これが人間自我の仕組みで、

各自を自立させないための「プログラム」として

完璧に機能している。

地球人の青写真ができたあと、DNA操作があり、

このような自我の元型を挿入されたため、

各自が完全には自立できずにいます。

 

 

甘え合うというプログラムがされたまま、

無意識に、お互いがお互いに対して期待をする。

そして、その期待は必ず裏切られる。

なぜなら自我同士が期待しあっているだけだから。

自我は天地からズレているため、

最終的には期待ハズレになって当然です。

 

 

 先日、A山に登った時、それを痛いほど思い知りました。

生死の危機に見舞われる出来事が起きると、

結局は、他者など誰も当てにできないと痛感する。

完全に天地に命運を握られており、

そこに託すしかないことが骨の随まで腑に落ちる。

しかも、いかなる瞬間にも、

天地はこの人型生命体を

生かそう活かそうとしてくれていたことが、

生死の危機に瀕した後に、やっと腑に落ちる。

 

 

 A山からの帰途は大雨になり、

登山道は濁流の川のようになって、ズブズブに足は濡れ、

すべるし、尻もちをつくし、泣きそうになりました。

孤独が全身を包み、もう少し暗くなったら下山は無理で、

獣も出るらしいので、心底から恐怖が湧いてきます。

肉体はボロボロになり、ただひたすら「生きて帰る

とだけ念じて黙々と降りました。

ときおり祀られているお地蔵さんに

「ありがとうございます」とお礼をしながら・・・。

 

 

」の意識を高く持つことは最も重要なことですが、

山という「」の要素や、

肉体という「」の要素に関する実際の取り組み

甘く見てはいけないと、改めて思い知りました。

生死」の極みになった時こそ、頼れるものは天地のみと分かる。

 

 

 

でも人間のほとんどは、「生死」に関してさえも、

ついつい他者に頼るというパターンがあります。

有事の際には、誰かに何とかしてもらいたいと期待する。

家族という、友という、知り合いという切り札を使って、甘え合う。

 

 

でも、謙虚に「天と地」につながって、

心底から自立しているような方は、

年齢が70歳であっても、厳しいA山のコースを

サクサクと登り降りされていました。

(山伏修行や修験道の神髄を思い出しました)

 

 

逆に、自我同士で依存しあっている人は、

「お手々つないで皆で楽しく登ろうね」

「何かあっても、お互いに助けあえるから安心だよね」

という方々でした。

(お互いに「生死の保険」を掛け合って、表面上は安心です)

 

 

でも、もしかしたら、共倒れになるということもある。

その中に、たった一人でいいから、

「自立」した存在が居てくれたなら、随分違ってくるのです。

 

 

しっかりと天地につながり、その感覚を研ぎ澄まし、

自立した愛の意識で凛(りん)として生きる、

各自がそうなって初めて「他者に貢献」しあうことができるのです。

人を助けるという真の意味は、人の自立を促すことでしかありません。

全体と他者への貢献の前に、

先ず自分自身が「ひとり在ること」を

この物理次元で実践していくことが大切です。

 

 

天と地に足をつけて生きることは自立の基本ですが、

それは「高い意識」への取り組みだけでなく、

地球での物理的なものへの取り組みも

同時に進めていくことなのです。

」としての高い意識と覚醒状態も、

常に「活用」し続けなければ劣化する。

同じく、その高い意識に呼応していく「」としての身体も、

常に「活用」し続けなければ劣化するだけ。

 

 

つまり、天と地は車の両輪なので、

どちらかだけに片寄っては、双方が台無しです。

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