無=全

| すぴりちゅあるブログ

 

「無」という言葉と
「全体」という言葉に留意してみると、
面白いことに気がつくのです。
ほとんどの人は
全体とか全一という表現を好むのです。

 

全体のほうが、
無よりも何となく響きがいい。
それは、「全」という文字が
入っているせいで、
全てを得ているような
イメージが湧き、
分量的な多さを連想するからです。

 

以前よりも大きく
拡大した気がするし、
得をした感じがする。

 

は、何となく危険な匂いが
するから不安になる。
無と聞くと、以前よりも
減った気がするし、
全部をはぎ取られる感じがして
不安であり、損をした感じになる。

 

ですから、表現としては
全体とか全一を使うと大衆受けするし、
一般的には喜ばれる。
でも、それは
自我(マインド)が喜んで
肥大化していくだけのことです。

 

それによって決して全体(全一)に
なれるわけではないのです。
真の存在である「虚空」の
開花になるわけではない。

 

本当の意味で
全体・全一になる為には、
やはり先に無になるほかない。
無になることが
全てになることです。

 

無である広大な
意識存在になる為には、

分離性・部分性としての
個人的な自我を溶かすしかない。

 

この究極の真理は、
自我にとっては
大きな痛みのように思えるけれど、
それは他者から植え付けられた
思い込みでしかありません。

 

全ての根っこ、全ての源、
全ての母である虚空へ消える自我は、
ちょうど大海へ落ちる
雨のしずくに例えられます。

 

大海へ消えるしずくは、
初めて広大な生
というものを実感できます。
大海の中では、
誰も分断されていませんから、
万物一体愛しかない。

 

そうなってみると、
単なる言葉という「境界線」が、
自我(しずく)を
作っていただけだと分かるのです。

green background with grass

 

ところが、それが分からない時は、
言葉による「表面張力」を使って、
あなたはしずくであることに
目一杯がんばり続け
できれば大きなしずくに
なっていこうとしている。
画像のしずくを見て分かりますが
しずくは大海には勝てない。

 

そして大海に消え去るのは
言葉という「境界線」だけであり、
境界線の消失こそが
無自己・無我・全体
の現れとなります。

 

しずくが大海に入って融合した・・・、
この言い方を変えると、
大海のほうが「しずく」に入って
融合したとも言えます。
ただ、自我の肥大を避けるには、
しずくが大海に溶けると
思うことがベストでしょう。

 

瞑想に目的があるとしたら、
自己を覚る(さとる)
ことではなく、

「無自己を悟る」こと
にあります。

そして、全体への入滅だけが
至福と大安心をもたらすと
悟ることにあります。

 

言葉は、他者から
もらったものばかり。

言葉を全て断捨離していくと、
最後にどうしても
片付けられないものが残る。
純粋な無だけが残る。

 

それだけが真のあなたであり、
他は借り物ばかりだったのです。
真の究極の存在は、
他者からもらった言葉・考え・信念や、
知識・学問といった借り物の奥に、
ひそやかに隠れて在ります。

 

それが純粋な虚空なのです。
そして、虚空には
言語による一切の境界が無く、
言語不在になっています。

 

 

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