全体と分断

| すぴりちゅあるブログ

だいこん言葉には二種類ある。聖なる言葉(神の元語)と、俗なる言葉(エゴ)と。
「聖なる」はHoly(ホーリィ)ですが、その語源は【全体】という意味なのです。
全体とは【中立】のことです。そして【根本】のことです。
全体であるものが聖なるもの、全体を表現する言葉が「聖なる中立な言葉」です。

全体、それは「ひとつ」となっている状態です。
全体、それは、あまねく一切に通じて、あまねく一切の中に通っているもののことです。「普通」なるもののことです。
この全体を表現する以外の、部分的表現を【エゴ】と呼びます。エゴの正体は、単なる【機械的な言葉】のことを指すのです。エゴとは概念に過ぎない。区分けに過ぎない。境界線に過ぎない。エゴは生きているわけではない、単なるレッテルです。生きていないエゴを生かし続けているのは、あなたの意識が全体を観ていないからです。

「全体ひとつ」であるものを、便宜上、表面的な言葉で区分けするうちに、区分けの言葉のほうを信じてしまい、「全体ひとつ」であったものを完全に分断してしまいました。私たちの内側からあふれる「いのち」は、いくつもの言葉によって分断されていき、沢山のエゴに分割されました。たとえば、大根という全体を、葉っぱとか、実とか、根のヒゲとかに分断したようなものです。でも、どれもが大根です。そして大根には、分断されたもの同士の戦いは一切ない。

ところが、人間の内部は、気付いていようがいまいが、この無数のエゴの内部抗争で混乱しています。言葉の数だけエゴがあるのですから!そして言葉同士は、その性質上、お互いの正しさを中心に据えて、互いに自己主張するばかり。まさに群雄割拠の戦国時代です。この内なる状態が外に表面化し、戦争を創造しています。私たち全員がそれを創造している責任者です。
外の文明が進化したように見えても、私たちの中に、言葉同士の戦国時代が残っていることに気がついて下さい。天下統一するのは、【全体】である【根本中心】の聖なる言葉によってのみです。もしくは内なる言葉が完全に消えることによってです!

もともと【根本中心】(=空)からあふれる「いのち」は【全体的ないのち】でした。
万物の中を同じものが流れているにもかかわらず、人類の言葉だけがそれを分断するというワザを持ちました。【全体いのち】が無数の【分断いのち】(エゴ)となり、分断されたエゴにも一応ちゃんと中心があり、その中心とやらは本物の聖なる根本中心とは全く違うものです。エゴの中心は【アンチ全体】となっています。エゴの中心に、どれだけ正当な言葉の理屈があっても、そこには聖なる言葉が完全に欠如しています。聖なる言葉とは、あなた個人の言語が無い【無音】のところです。あなた個人だけの言語がジャマなのです!
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【メタモルフォシスを去年に修了された方々へ】
今回のことも、「いのちの一本化」の詳細です。あなたの「砂の城」は、【全体】の砂粒ですか?分断された少ない砂粒?

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