罪悪感

| すぴりちゅあるブログ

多くの人が、内面の深いところに罪悪感を持っています。だからイキイキできません。

 

そして、罪悪感を持っている人ほど、「正義」という名の「水戸黄門の印ろう」に依存します。そして「正義」の名のもとに「裁き」を行なうようになっていきます。

 

そもそも罪悪感というエネルギーは、「裁き」「批判」「非難」をすることから生まれる不自然な二極化エネルギーなのです。

 

その不自然なエネルギーによって、不自然な自分や、不自然な現実を創ります。

 

正義感と罪悪感は、エネルギーで言うと一対」なのです。どちらのエネルギーも二極化の片寄りです。
あなたは正義感たっぷり?→ということは、罪悪感もたっぷり持っています。これらを中和させることが愛です

 

先日、責任を負うことと、「責任感」というエネルギーを感じることは、似て非なるものだと書かせて頂きました。

 

それと同じで、「罪悪感を持つこと」と、「心底から謝る」ことは、実は全く関係がないお話しなのです。

 

でも、謝罪という漢字には「罪」の文字が入っているので、罪悪感というエネルギーを生み出して感じさせてしまうのです。

 

愛とまごころをもって、ニュートラルに謝ればいいのですが、罪悪感という二極化エネルギーを所持したままだから、いつまでたってもモノゴトが解決しません。

 

「空」(舞い降りた神秘の暗号)に書きましたが、「悩みは裁きから生まれる」(P156)のです。
裁き、それはいつまでも二極化のままで、偏愛(自我愛)でしかありません。(以下、本文から抜粋します)

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苦しみが生じるのは、必ずそこに「頭による裁き」が入ってくる時です。ですから、自分を裁くか、相手を裁いて苦しむのです。そこには必ず一方的なモノサシがあります。

 

justiceこの裁きのモノサシは、一体誰から教わったものなのでしょう?(世間から。とくに、過去世で、宗教団体のTOPから)

 

例えば、明るい性格を良いものとし、暗い性格を悪いとする判断は、かなり暴力的な裁きです。

 

明るい・暗いと比較(=識別・分別)すること自体が悪いのではなく、比較して「裁く」ことが苦しみになるのだと言っているのです。

 

暗さ自体は悪いことでも何でもありません。にもかかわらず、暗さを悪者にして否定するため、エネルギーがストップして「循環」しなくなるのです。   

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私たちが、「裁き」という二極化の体験をしてきたのは、裁きや批判や非難をすれば、一体どういう現実が創られるのかを知りたかっただけですし、偏愛(自我愛)を体感して知るということもできました。

 

もう充分に知りつくしたのだから、「裁き」による二極化の思いを統合し、融合し、交配して、もとの愛に昇華させましょう。

 

融合・統合の「方法のひとつ」を、明日書かせて頂きますが、二極化し、真反対に思えるもの同士が融け合う時、最高の錬金術が行われることになるのです。

 

加害者・被害者
責める側・責められる側

 

正義という名の「水戸黄門の印ろう」は、宇宙の愛の所有物であって、個人がふりかざすと、ますます二極化を強めるだけ。自我の観点(分離の視点)からは、正義は使えません。

 

だから、宇宙の観点、愛の視点、中立なゼロポイントに居ることが重要です。

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