「総絞り」 に見る 「聖なる二分法」

| すぴりちゅあるブログ

あたみたったひとつの全体、そこから「各自」・「個」が形成されています。
ワンネスなのに別々。つながっているのに別々。
河があって、その河はひとつなのに、別々の波が形成されているようなものです。

もっと他の説明はないのかと「問いかけ」をしておいたら、「総絞り」のブラウスから「答え」が来ました。
今日は熱海に行ったのですが、夕方みなさまとお別れしてから、気の向くままに駅前を歩き、何となく「総絞り」の和風ブラウスを見つけて買ってしまいました。
それを着て名古屋に帰ったとき、そのブラウスから答えがあったのです。

たった一枚の布しかないところへ、沢山の細かい「しぼり」を造ることで、個別に染まった「しぼりの山」が出来ます。
染まり方も形も似ているように見えても、どれひとつとして同じ「しぼり」はありませんし、どの「しぼり」が存在しなくても「総絞り」にならず、全体の美が不完全になります。

個別の「しぼりの山」だけが「自分」なのだと思っている場合、他の「しぼりの山」など無ければいいと思って、できるだけ低くつぶしてしまおうとするかもしれません。
あるいは、そのような攻撃的な敵意ではなくても、他の「しぼりの山」が低くつぶれていて、みすぼらしい場合、何とか「救ってあげよう」として、自分も同じように低い「しぼり」になってしまうなら、これまた全体がダメになります。

そうではなくて、「個別のしぼり」が「全体の総絞り」を構成している「重要部分」だと理解できたなら、個別それぞれが「自立して充分に自己表現」することによって、結果として「全体の総絞り」が立派に繁栄することになるわけです。

中心とは、真ん中という点の意味ではなく、端(はし)のほうを含めるからこそ、中心と名乗ることができます。
そして、「全体総絞り」の中心になるのは「あなた」という「個別のしぼり」ですが、その中心の一か所をさらにもっと持ち上げれば、おのずと「端」(ふち)のしぼり」たちも持ちあがっていき、結果として布「全体」がさらに持ち上がることになります。

以上のように、あらゆる「個のいのち」をたばねているのは、たったひとつの「全体いのち」なのです。
実際には「いのち」の間に分離はないのですが、様々な「振動」「波動」や、様々な「速度」として現れているため、同じとは思えないだけです。
たったひとつの「全体いのち」がそれ自身の中に、個別の異なる振動を生んでいるだけなのです。

異なる振動、異なる速度で動くものが、それぞれ違った別の振る舞いをして、だんだん凝集していくと、物理的な「存在」「モノ」のように見えてきます。
別々の動きや、別々の振る舞いをさせるからこそ、「たったひとつの全体いのち」が「多種多様の個別存在」としての振動表現が可能になったのです。
「たったひとつの全体いのち」が分かれて、無数の「個」になっている、これが聖なる二分法です。
たったひとつでありながら、無限無数なのです

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