日常を攪拌(かくはん)して生きる

| すぴりちゅあるブログ

 

羽生結弦の、
フリー演技のタイトルが「Origin」でした。

 

私たちのOrigin
(起源・源点)それはゼロ。そして虚空。

 

4日の東京1DAYセミナーのアンケートで
「覚醒」に関するご質問がありましたが、「Origin」と「覚醒」とは不可分ですので、

 

覚醒という表現への
誤解を解きます。

 

前のブログにも書き、1DAYセミナーでも少し触れたのですが、
あらためて誤解のないよう書きます。

 

(なので、長くなりました)

 

……………………………………………..


実のところ、

誰もがすでに「覚醒」しているのです。(無意識でない時)

 

ただし、何者として「覚醒」しているのか、
その分かれ目が重要なだけです。

 

辛い思いに浸り、苦しんで、
自由を感じない「自我」として「覚醒」しているのか、

 

純粋な愛と喜びの
中立な観察意識(Origin)として「覚醒」しているのか、

 

その違いは
雲泥の差です。

 

一般的にもスピリチュアル的にも、
ほぼ後者を「覚醒」と呼んでいます。

 

「中立な意識」として
いつも覚醒しているならば、全てがサクサクした動きになる。

 

休むべき時が分かり、
止まる時が分かり、

 

変更するべき時が分かり、
動くべき時が分かる。

 

それは
理由なき感覚で分かる。カラダが教えてくれる。

 

現実面での不具合や
とんちんかんなことが起きた時、必ず自分の中に不具合があることに気付かされる。

 

このように、覚醒とは
明晰な気付きの状態」のことを言うのですが、

 

「明晰な気付きの状態」である為には、
各自の意識が

 

中立なポイント(ゼロ)」に
立っていることが必要です。広角ワイドでパノラマ的に見るために。

 

そして、中立なポイントだけが
創造主である虚空(Origin)に100%通じています。

 

話をスッキリさせていきます。
「今ここに、中立な意識として覚醒する」を、分かりやすく言うなら、

 

「今ここに、
イキイキとした
関心を持つ」
となります。関心を持つ対象は、各自それぞれです。

 

わけが分からなくなった時は、
いったん自分のOrigin(起源や原点)に還ってみる。

 

そもそも、Origin(虚空)は
「弥栄の意志」そのものですが、その弥栄の意志の根底にある意欲は、

 

「おのれの全てを
知りたい!」だったのです。

 

つまり、虚空は
自分自身から「どんなものが生まれ出るのか」、

 

そして生まれ出た全てが
「どのように変容し、動き、変化進化するのか」を、とても知りたいという【観察の意欲】があるのです。

ひらたく言うと、
生まれて変化するものへのイキイキした「好奇心」「関心」です。

 

それを
愛とも言います。

 

これって何?知りたい
これってどういうこと?知りたい」という好奇心・関心を持つことは、天意からの愛なのです。

 

「虚空の子」である私たちも、
虚空と同じ意欲を持っています。

 

分神としての私たちから
一体どんなものが生み出されるのか?」とか、

 

生み出されたものが
いかに変動し、新化するのかを「是非とも知りたい!」という意欲を持っています。

 

そして意識は
何よりも「このボディ」を知りたいと意図して、今のところカップルになっています。

 

イキイキした好奇心
関心を持つことが

 

各自の意識&カラダにとって、
この上ない「生きた至福」へと導かれます。

 

新しいことに気づいた瞬間や、
新しいことを体験して学んだ時の「あ、分かった!」と思う瞬間、

 

そこには
この上ない至福
訪れます。

 

それは、私たちを通じて湧き出してくれた
「虚空自身の至福」と言えます。

 

ですから、一般人が頭に描いているような至福、
まどろむような、まったりとした平和な心地よさ」の感覚とは少し違います。

 

虚空の至福は、
ジンジンと元気で、繊細にイキイキしています。安堵ではない。

 

自我が頑張る時のように
激しい元気さ」だけをあなたが出し続けていくならば、

 

いつかその反動で、
まどろむような心地よさ」を欲しがるようになり、そこに浸り始める。

 

そのうち、繊細な感覚
愚鈍」へと偏って変質していきます。

 

誤解しないで頂きたいのは、
多くの人にとって、

 

元気」「真剣」という
言葉のイメージに
誤解があります。

 

ほとんどの方の「元気・真剣」は、
かなり激しすぎるプラス状態」になっているということです。

 

(あと少しだけ続きます)

 

1ケ月ほど前ですが、
私のもとに降ってきた情報と、ある禅僧が雑誌にコメントされていた内容とが、

 

マッチしていたので、
それを以下に書くことに致します。直観的に読み取って頂ければ幸甚です。

 

ゼロには二種類ある。
つまり「+ゼロ」と「-ゼロ」。

 

聖なる双子である。

 

往々にして、いのちの至福に気付いて「中立」を悟った瞬間に、
陥る罠がある。

 

今まで必死に奮闘してきた分だけ、
ようやく「ああ、心地良い」「ああ、なんて幸せなのか」「もう充分に分かったし、知り尽くした」と、安堵する。

 

それはよきことで、
何も問題はない。

 

だが、そうやって
満足と安堵に浸っているうちに、

 

自分の中に
【沈殿物】が溜まっていく。これはイキイキした真の休息とはいえない状態。

 

使われない光(意識エネルギー)が
沈殿物として溜まっていく。

 

だから、
日常を
攪拌(かくはん)して
生きること。

 

こまかく繊細に
攪拌すること。

 

要は、今ここを生きている意識として、
繊細に「+ゼロ」に転じるなら、自分の中や日常が攪拌(かくはん)されていく。

 

そうすると
本来の「至福感覚」が戻ってきて、

 

そのこと自体が
「真の休息」となって、
無理なく
「真の元気」が出る。

 

「真の休息」とは
「真の元気」のことであり、
実はイキイキしたものだから。

 

あなたの意識が
繊細に「+ゼロ」に転じることで、溜まった沈殿物が攪拌(かくはん)されて、

 

意識が明晰になり、
感性が鋭敏になる。

 

だから、


「+ゼロに転じよ」は、

「意識的であれ」という意味だ。

 

何かを始めるにしても、
止まって休むにしても、活動を終えるにしても

 

意識的であれ!

 

多くの人は
無意識になることで酔うクセがある。意識をマヒさせる。

 

それは何かを
「観察するのが怖い」からです。

 

あなたは自分の中の、
何を見るのが怖い?

 

恐れそのものを
ちゃんと直視するのが怖いのではないですか?

 

スピリチュアルな法悦や、
瞑想による心地よさや、悟りの境地などは、ある意味では「麻薬」にもなり、モルヒネともなる。

 

酔わずに醒めきって、ちゃんと観察できていること(覚醒)が
生きた至福である。

 

そして
生きた休息である。

 

繊細な「+ゼロ」となって
内面のプログラムを観察することに、意識的であること。

 

繊細に
覚醒し続けなさい。

 

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