場面=空間
■夏至
「神儀の瞑想&情報会」
ご参加の皆様には、
昨夜、短い事前メールをさせて頂きました。
………………….
夏至を迎えるにあたって、
私のカラダにも色々なことが起こってきました。
とにかく、左足の「むくみ」が取れない。
今まででしたら、たとえ運動不足でも、そんなことは起こらなかったのです。
ふと、「私は左を嫌っているのだな」、
そんな感覚が浮上しました。
左か右かを選ぶとしたら、
なぜか右が好き。
左大臣より右大臣。左脳よりも右脳。
他にも色々ありました(汗)
とにかく、左を嫌う波動を回収し、
「左」に感謝・敬い・祝福をおくることを意図しました。
皆様も、ご自身の中にある「嫌い」の感覚を癒すだけでなく、
「好き」も癒しておいて下さい。
こうであってほしい
(=こういうのが好き)をアイに溶かして癒すのです。
例えば、誰かに「こう見られたい」という期待も手放し、
「そのように見ないでほしい」という押し付けも手放し、両方ともアイに溶かして癒すのです。
他の方々に「こうであって欲しい」という期待を手放し、
「そのようにあって欲しくない」という押し付けも手放し、両方ともアイに溶かして癒すのです。
物理世界には、常に
様々な好き嫌いの場面(空間)が展開しています。
それはどこまでも
全く途切れることなく発生し続けています。
私たちが
共同創造しているのです。
私たちの「内なる宇宙(空間)」が
そのまま「外の空間」として展開されているのですから、
絶対的に意識すべきは
「内なる空間」といえます。
このことは、今までにも
しつこく書いてきましたが、
頭だけでなく、骨の髄まで分かっているかどうか、
自問自答なさって頂きたいところです。
「内側の空間」の重要性が
どこまで腑に落ちていますか?
外側の状況を変えるために、あるいは外側の誰かを(自分の好みに)変えるために、
必死で頑張っているのなら、全くの無駄骨です。
今ここに生きる(=生かされる)ことの歓び、
その深まりが「内側の空間」で起こっていることが大事。
古(いにしえ)の日本人は
「空間」を大切にしていました。
それが人としての
「道」の基本になっていました。
華道、茶道、合気道、柔道、
それらの世界でも、必ず「空間」を敬っています。
以前、ある知人が言っていました。
「自分が花を生けているわけではないの。実は、周囲の空間が花を支えてくれているから。私は空間の声を聴くだけ」と。
華道における「空間」とは何か?
活けられた花によって生み出される外側空間だけでなく、
生け花に込められた精神性や時間、そして、鑑賞する者の内面に広がる空間をも含むのです。
茶道の「茶室」は、
俗世から隔離された清浄な「空間」を意味します。
茶室への入口は、
お客様が身をかがめて入る低い入口となっていますが、
身分に関係なく、
「平等な立場」で茶を楽しめるように工夫されたもの。
でも、私たちの生活の中に、
「空間」への認識として、華道や茶道のような感覚はあるのでしょうか?
お稽古ごととして
その時だけのものになっていないでしょうか?
講座や
セミナーも同じ。
単なる習い事として、マニアックな趣味として、
その時だけのものになっていないでしょうか?
次回の更新予定は
6月24日(火)です。
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